信条教育 「祈り」のある教育 幸せとは何でしょう。 あなたは今幸せですか? 私たちの神様は、「人間が陽気に楽しく暮らすのを見て共に楽しみたい」との思いから、私たちを誕生させてくださいました。 神様の思いに沿って、みんなが楽しく陽気に暮らせる世界を築くこと。 それが私たち一人ひとりの幸せであり、生まれてきた使命ともいえます。 自分の幸せが世界の幸せにつながり、どんな不安や悲しみの中からも笑顔の種を育むことができたら、素晴らしいと思いませんか? 小さな損得や自己中心的な心から離れてただ謙虚に無心で手を合わせたとき、心に本当の安らぎが生まれます。 毎朝、神様に今日あることを感謝し、健やかな一日を願って手を合わせて祈ること。 天理高校では、全生徒がそろっての御本部神殿での参拝をもって、学校の始業としています。 喜びに満ちた世界の実現のために、少しでもお役に立つこと。それがここ「おやさと」で学ぶ私たちの大きな目標であり、務めです。神様の大きなみ心に包まれて、自分の心を見つめ直す。 祈りを通して豊かな精神を育む、「心の教育」がここにあります。 「感謝」を知る教育 お金や物に囲まれていても幸せでない人がいます。 一方、何はなくとも毎日を楽しく晴々とした気持ちで生きている人もいます。 なぜそうなるのでしょうか? 神様は何もかも創造されましたが、心の使い方は人それぞれの自由にまかされました。 幸不幸も心の使い方一つです。 「もっと、もっと」と不満だらけで生きるのと、今の自分に感謝して生きるのでは、どちらが本当に幸せでしょうか?人と比べる必要などないのです。今ある自分に感謝し、その喜びや感謝の心を素直に表現し、行動することです。 これを「ひのきしん」という言葉で教えられています。 「ひのきしん」は単なるボランティアではありません。 人からどう評価されるではなく、喜びを素直に行動として表す行為なのです。心が澄み切り、生きていることがありがたいと思えば、ごみを拾い汚れた床を拭くことも喜びです。 「人からほめられたい、認められたい」というこだわりから脱すれば安らかです。 何をして、何をしなかったは、全て神様が見ていてくださいます。評価の基準は、神様のみ心なのです。 「学ぶ力」「生きる力」を養う教育 玄関や床の間の柱も、人目に触れることのない床下や天井の裏の柱も、家を作るための大切な材料です。 この材料を「用木(ようぼく)」と言います。 私たちに与えられた使命は、世界たすけの「用木」となることなのです。 何のために学ぶのか。何のために生きるのか。 迷うことなどありません。 神様の思いに沿って、陽気な笑顔で充ちあふれた世界の実現するために、学ぶのです。 私たちはみんな、さまざまな個性や能力、徳分を与えられて生まれてきました。 素晴らしい記憶力を持つ人もいるでしょう。 人一倍丈夫な体を与えられた人もいるでしょう。 絵を描くのがうまい人、優しい思いやりに満ちた人、いろいろな人がいるでしょう。 何かに秀でた部分が思いつかないという人も、大丈夫です。 あなたがあなたでいること、それだけでいいのです。 できることはささやかなことかもしれません。 ただ、私たちは、与えられた能力や徳分を少しでも伸ばすために、真摯に学べばよいのです。 神様の思いに沿って、陽気ぐらし世界の招来のために、それぞれの立場で真剣に生きて行けばよいのです。 「今の私を見てください」と、神様に胸を張って言える自分でありましょう。 心に生きることの確信があれば、恐いものなどありません。本当の幸せへの道を学び、生きる充実感をここで求めてみませんか。