本校受験の諸君へ 天理高等学校長 西田 伊作 これから天理高校を志そうと考えてくれている中学生諸君へ。 天理高校は何をめざしているのか、どういう人間を育てようとしているのかということをお話しさせていただきたいと思います。 公立と私立の違いとは 全国には4680余りの全日制の高等学校があります。その内、奈良県には61の高校があります。さて、次に全国に私立の高校は1270校あります。そのうち奈良県には16の私立高校があります。公立と私立の違いは、県や市町村・国が設立・経営するのが公立の学校、私人が設立・経営するのが私立の学校です。だから公立と私立の違いはだれが設立・経営するか、その点であきらかです。そして私立の一つが天理高校です。 それでは、私立のそれぞれの学校同士は何が違うのか。天理高校の建物はかなりユニークな趣ですが、教室それぞれを見て行ったとき、あるいはその他の設備を見て行ったときには、そんなに差は見えてこなくなります。それでは何が違うのか。設立以来変わらないものが、違うのです。それは建学の精神、つまり設立の趣旨、創立者の心情「やむにやまれぬ思い」が違うのです。 本校で考え、身につけてほしい3つの心 本校の設立の趣旨は、教育方針から引用すると「高等学校としての普通教育を施すとともに、陽気ぐらし実現のため、天理教の教えをもって人類・社会に貢献できる有為な人材を育成すること」つまり普通の高等学校で教えることの上に天理教教義に基づく信条教育を施すということです。 信条教育とは何か。これはもし縁あって、諸君が我が天理高校に来られたときには、3年間でじっくり考え、身につけていっていただきたいのですが、結果として次の3つの心が芽生えてくるものと考えます。 一つは何事にも喜びを見いだし、感謝できる心。「感謝」一つはその感謝を自らの行動に、人のために行動する心。「ひのきしん」一つはみんながそんな心になれば共に助け合って行ける心。「たすけあい」です。 みんながこのような心になれば社会はどうなりますか。われわれの求める理想の世界、陽気ぐらし世界への第一歩。少なくとも校内や寮、家庭、身近な社会では極力それに努めて欲しいと思います。簡単に言えば報恩と感謝です。 松下幸之助氏のエピソードから学ぶ そういう話をするとなかなかに胸に治まりにくい人もいるかと思います。それは今の世の中が自己中心の風潮の世だからだと思うのです。だから理解しにくいと思うのです。私たち天理教を信仰する者、これを道を通る者といいますが、この私たちを評価するこんなエピソードがあります。 私が過日、東京へ行ったおりに、ある雑誌を買い、それを新幹線の車中で読み進んでいった際に、パナソニックの創設者・松下幸之助のエピソードの紹介記事が目に飛び込んできました。記事の内容は、昭和7年(1932年)、松下幸之助は商売にいきづまり取引先の知り合いに連れられて天理教本部を訪ねた際、信者たちが嬉々として奉仕に励む姿におどろく。そして自分たちが目指す経営もまた、それと同じように主人も従業員もよろこびのうちに熱心にはたらき、「社会に奉仕してゆく」聖なる事業でならなければならないという考えに至った。というものでした。松下電器の原点です。 最近、文科省では奉仕活動を学校カリキュラムに導入するということが言われています。皆さん方はこれをどう考えますか。このお道ではまさしくそういうことをやってきました。信仰的裏付けをもってです。教内の多くの先輩たちがその精神でやってくださってきたことを、私は聞き及んでいます。この時代だからこそそういう精神が必要とされています。 自分の一生を見据えて志をたてる 私は高校というのは、人生における一つの通過点だと思うのです。 皆さん方は高校でこの一生を終えるのではありません。ですから、高校卒業後をじっと見据えて、自分はどういう方向に進んだらよいのかを自分自身で考えるのです。何が自分の一生の生きがいになるのかを考えるのです。志をたてるのです。ただし、このとき皆さん方は「道の後継者」であるという大義を忘れてはなりません。 また高校は通過点といえど、この通過点から道は幾通りにも分かれているのです。確かに先々で後戻りしたり、進路変更は可能です。ただし、人生はあまりに短い。周囲の大人の人にたずねてみてください。大きな志を抱けば人生はさらに短いものとなります。 目標・目的を持つということが高校生活を一層、意味あるものにしてくれます。充実した人生を生き抜くためにも本校において、しっかりと心と体を、何よりも克己と忍耐を養っていただきたいと思います。おぢばで諸君に会える日を心待ちにしています。